自分の取説を持っておこう【心の容量が増えるメンタルの取扱説明書を読んで】

読書

心の容量が増えるメンタルの取扱説明書を読んでのまとめを記載します

何かのヒントになれば幸いです

極度の疲れ・不安を感じた時、「持続可能な解決策」を実施しよう

持続可能な解決策:瞑想、食事、ボランティア、家族やペットと触れ合うなど

極度の疲れ・不安を感じると人間は手っ取り早い解決策を求める。

例えば、コーヒーやお酒や甘いもの、オンラインショッピング、だらだらスマホなど。

これは短期的に見れば策として使えるけど、長い目で見れば依存症になる可能性がある。

ここで提案したいのが、持続可能な解決策ということが書いてあった。(瞑想、食事、ボランティア、家族やペットと触れ合うなど)

自分の反応は自分の人生の全体として+なのか?ーなのか?

人間は何か、刺激(嫌なこと、いいことなど)があると反応する

ここで「嫌だな」と思うことに対して、それは何かの刺激(引き金)によって嫌だと感じているのか?

それとも自分の反応が嫌なのか?を考えてみよう。

その「嫌なこと」をなくすには、反応にフォーカスするか、刺激にフォーカスするかどちらかである

例を挙げると、

「満員電車内でぎゅうぎゅうに押しつぶされて不快な思いをした」という事象があったとする

「通勤中満員電車でぎゅうぎゅうに押しつぶされた」というのが刺激、「不快な気持ちになった」のが反応

刺激にフォーカスするなら、「自分は満員電車でぎゅうぎゅうにされることが嫌なんだな」「始発の電車で通勤しよう」「車通勤してみよう」「自転車で通勤できないかな?」

反応にフォーカスするなら、「不快な気持ちをどうにかいい気持ちにできないか?と考える」

この例だと、刺激にフォーカスした方がなんとなく良さそうですね

そうやって、自分の嫌なことを刺激、反応にフォーカスして何かしらのアプローチをしていったときに注意しなきゃいけないもある

「外に出ると疲れる」「友達と会ったときに楽しいけど疲れる」などは、刺激をなくす(「外に出ない」、「友達と会わない」)のが手っ取り早いように感じるかもしれないけど、個人的になんとなくそれは健康的でないように感じる。(繊細さんに多いかも)

そんな時は自分の人生全体を考えたときに+になっているか?ーになっているか?を考えてみよう

「外に一生でない」「友達と一生会わないということ」ということは自分の人生で考えたときに、+なのか?ーなのか?

スマホは終わらない物語

スマホは、スマホを見続けている自分に気づくきっかけ(章の区切りやページめくりなど)がないために危険。

ずっとスクロールして、終わらない物語を永遠に見ているような感じになるかもしれない

下向き比較、上向き比較どっちでも構わないけど、有意義なのか、無意味なのかがポイント

上向き比較:自分より上だと感じる能力と比較すること

下向き比較:自分より下だなと思う能力と比較すること

有意義無意味
上向き比較「●●という能力を伸ばしてあんな風に振る舞いたい」「自分はあんなにできない…自分はダメダメだ…」
下向き比較「自分も昔、あんな感じだったな。それと比べると●●の能力伸びたな。よしよしいい調子だ」「うわ、あんなに●●できてないの?あれよりマシだわ。恥ずかしくないんかなー」

上向き比較をして、「●●という能力を伸ばしてあんな風に振る舞いたい」と思うのは有意義

「自分はあんなにできない…自分はダメダメだ…」が無意味

下向き比較をして、「自分も昔、あんな感じだったな。それと比べると●●の能力伸びたな。よしよしいい調子だ」が有意義

「うわ、あんなに●●できてないの?あれよりマシだわ。恥ずかしくないんかなー」は無意味

その比較はフェアか?

誰かとの比較をしてしまったら、自分の一番だめな部分とその人のいいところの比較をしていないかを疑ってみる。その比較はフェアじゃない

TaDa(タダー)リスト (ジャーンリスト)

できたことを「ジャーン」と見せびらかすイメージでかくリスト

習慣の逆戻り

習慣の逆戻りは普通の現象 疲れている時や一杯一杯の時は過去の習慣に逆戻りしてしまうのはよくあること 

こんな時、振り出しに戻るわけではないので大丈夫

「それは思考であって現実でない」

「今何を考えているか?」の思考に気づく これは思考であって事実ではない⇨「私は今、〜を考えている」と口に出して思考と距離を置いてみる

例えば、

Aちゃんの反応が薄かった、嫌われたかもと思った場合

「今私はAちゃんの反応が薄かったことを考えている」「嫌われたかもというのは思考であって現実でない」と口に出してみる

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