(初めに…この記事は小難しいことをいう自信がある。ので、疲れている人は早めに逃げちゃってね。)
コミュニケーション疲れるな…って言う人向けに、なんで疲れるかを解説した記事です
コミュニケーションにはコストがかかる
コミュニケーションにはコストがかかると思う
聞き手は、相手の言わんとすることを正確に理解するように努めるというコスト。
話し手は自分の伝えたいことを相手が理解しやすいように伝えるというコスト。そして、話し手と聞き手の互いがそのコストを払わないことにはコミュニケーションは成立しない。
コミュニケーションが楽しいっていう人は、人とのコミュニケーションが消費になっているのかもしれない。私は普段、コストを支払ってコミュニケーションをとっていると感じている。だから、他者との交流後、私はすっごくすっごく疲れる。
そして、コミュニケーションをとる相手から、消費の対応をされる時っていっぱいある、消費する方が楽だから。消費のコミュニケーションを否定しているわけでは断じてない。私は疲れると言うだけなので、それが楽しい人同士ならいいと思う。
理解しようとせずに、感想だけを持つのって簡単だ。消費するだけって楽は楽。でもそれって私が、コミュニケーションの相手じゃなくてもいい。
時々、自分からすっと何かが抜けちゃって、「これって私じゃなくてもいいんだもんな」って思う。
(自分の気持ちに余裕がない時が多いかな)
コミュニケーションの際に消費されていると感じたら逃げる
コミュニケーションには双方コストを払う必要があることを認識、実感できていない人は、相手に高コストを課する。それがわざとではないことは理解する。だけど、コミュニケーションにコストを払ってている側からしてみれば、申し訳ないけどとっても疲れる。
実際そういう人に出会った時って、逃げる、距離を置くとかしか手段はないよね
※コミュニケーションにコストを必要としていない人同士(お互いに消費するだけ)にとっては、楽な関係だとは思う。
表面上を撫でたような会話って、実はそれはそれで疲れる。
だから、別にないならなくてもいい。って思っちゃう、私はひねているかな。