とても良かった
「自分が悪いって思わないと割りに合わない」っていう言葉が忘れられない
考えたらわかるのに、なんで悪い人?に近づくのか、なぜ彼らと人間関係を構築しようとするのかって思ってた。なぜ良い人と付き合わずに、悪い人とばかり付き合うのかと思っていたけど
自己肯定感が低いなら、それを肯定するような状況を作り出す人たちと一緒にいたい、というよりは一緒にいるのが楽なのかな、と考えた。
でもそれってどこで抜けれるんだろう、虐待された子の全員が全員、自分を蔑ろにするような人間との関係を続けるかと言われるとそんなわけじゃないと思う
どこからその違いが来るのだろう、人間との出会いなのか、生死を彷徨う経験なのか、脳をかち割られるほどの体験なのか
辛いことは度を越すと、耐えられなくなってこっちが普通だって思うようになるって聞いたことがある、そんな感じなのかな
じゃあ、一生抜けれないのか、毒親のもとに生まれて虐待されて育った子は一生自己肯定感が低いままなのか
これは論理的なものじゃないのか、ショック療法が必要なのか
全然わからない、効果的な方法なんてないのかもしれない
でも、自分にとっての何気ないことが相手を救うこともある
それは、言葉かもしれないし一缶のコーヒーかもしれない
相手の弱さを全部受け止める必要もないし、自分は自分のために生きていい それは絶対だと思う。
いきなりガッツリ、NPO活動をしろ、ボランティアをしろ、なんては言えないし言わないし、できないしできると思えない
でも、自分の大切な人をほんの少し大切にしてみるっていう視点は必要なのかな
そして、相手の弱さを全部抱える必要はない。相手のことが大切で、弱さを少し受け止めたいならば、自分が持てる分だけ。共倒れにならないようにする。
自分を大切にして満たさないと、相手を幸せにできない、弱さを受け止められない
そんなふうに思った映画だった
漫画も見てみようかな
今日も読んでくれてありがとうございます
2023/1/10記載したものを2023/12/31に転記