ダイエットばっかしてた学生時代【愛されない感覚とダイエットの関係性】

考え方
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こちらの記事はダイエットについて悩んでいる人に向けて作成した記事です

ダイエットばっかりしていた学生時代

今思うと心のバランスがおかしかったんだと思う

自分が愛されていないと多分無意識で感じていて

だって辛いことばっかりなら、それは自分が悪いと思うしか道はない

子供は純粋だ

毒親って言うほどではない、他の人より大丈夫だった

すっごく思う、めっちゃ思う。でも違うとも同時に思う。小さい私には辛かった。

そう認めてあげることが何よりのセラピーだと現在は感じます

愛されない感覚を食で埋めようとしていた?

愛されてないような感覚を食で埋めようとしていたのかもしれない。でも埋まらないし

どうやったら愛されるのか

太っていたら愛されない

「太っているから」「可愛くないから」「頭が良くないから」愛されないと思ってた学生時代

いっぱい本を読んでも、他と比べてほんの少しだけ成績が良くても

認められることはなくて、愛されることはなくて

搾取されていく。私が少しずつ削れていくような感じが当時はしていた

条件付きの愛情って

条件付きの愛情って、子供が認識するときついと思う

100点以外は0点だ、そんなことあるわけない

今ならそう思う、でも親の決めた範囲で、ルールで生きていくしかない 子供の時は

凝り固まった私の価値観をほぐしたのは読書で本で、パートナーだった

ダイエットとずれてきたかもしれないけど

結局幸せは自分で掴むしかない

自分で行動するしか難しい

お姫様みたいに、誰かが救ってくれるなんて現実ではありえない

だから、少しでも行動をする。傷ついても休んでも大丈夫

絶対に諦めないこと

自分の過去は後悔はしていない、辛かったなとは思うけど、そこに縛られる必要もない

自分ができる範囲の交友もしている

ダイエットと毒親

私は生きづらかったけど、親に感謝はしている、そして私は彼らを愛している

だからできることはする。愛も伝える、会いにも行く

だから、今毒親(ほどは行かなくてもあなたが生きづらいと感じているなら)かも?と思っている人に向けて、そんな感じになるかもしれないとも思います

別に一生許せなくてもいいとも思うし、私だって根には持ってるんだと思う。

は?って思うことも何度もあった。

今学生だったら、あなたの世界は親が占めている。きついよね。愛されないこととか、条件付きの愛だと感じることって。

親って、一人の人間だし、親としての覚悟は持たなきゃいけないだろうけど、ぶっつけ本番が私たちで。

だから許せってわけでも許そうぜってわけでもないけど。

確かにいきなり本番なら考慮の余地もあるなって最近は思うようになってきた(大人になってきたのかもしれない)

幼少期に愛情をもらうことは大切、でも無理なら無理ならしょうが無い

なんで愛されないのか

そんな漠然とした絶望感を

そしてこうしたら愛されるかもしれない、のほんの少しの希望を

おそらく持っていたであろう幼少期

でも、結局どうこうしてたって愛されるものは愛されるし愛されないものは愛されない

それは自分のせいではないしどうしようもない

愛されようと努力をすることに、それ自体には否定はない

だって、そのおかげで私は今幸せだから

でも、愛されようと努力していた時代に、大丈夫だよって条件付きではなく愛してくれる人が絶対いるって教えてあげたい。

ダイエットで悩んでいる人に向けて

まず自分を責めなくていい

体重が重いことに何に問題があるのかな?結局は、健康でいれればいいんじゃないかな

問題ないのなら身体に健康異常がない範囲なら食べてもいいと思う

問題あり、例えば気分が落ち込むなら、ここら辺の体重にしようかなーくらいで軽く構える

別に痩せても太っても、周りの人の本質は結局変わらないよ。

もし条件付きの愛をもらえたとしても、それは苦しいよ。

痩せて態度が変わった人、太って態度が変わった人、全部バイバイしよう

そんな条件付きの愛はバイバイしよう

無条件に愛してくれる人やものを見つける。そしたら自分が自分でいい、自分がいいっていう感覚になって行くと思います。

無条件の愛と見せかけての、条件付きの愛に出会うこともあると思う

でも、決して無条件の愛に出会うことを諦めないこと。絶対に愛してくれる人はいる。

過度なダイエットって心の問題だなとは実感する

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