この記事は、コミュニケーション疲れるな…って言う人に向けて、なぜ疲れるかと対策を解説した記事です
結論:コミュニケーションの成立には双方のコストがかかる
コミュニケーションを消費されていて疲れるならば逃げよう
コミュニケーションにはコストがかかると考える理由
コミュニケーションにはコストがかかると思う
聞き手は、相手の言わんとすることを正確に理解するように努めるというコスト。
話し手は自分の伝えたいことを相手が理解しやすいように伝えるというコスト。
そして、話し手と聞き手の互いがそのコストを払わないことにはコミュニケーションは成立しない。
コミュニケーションが楽しいっていう人は、人とのコミュニケーションが消費になっているのかもしれない。
コミュニケーションにコストを支払う人、支払わない人
コミュニケーションにコストを支払う人は、他者とのコミュニケーションの後にすごく疲れる。
そして、コミュニケーションを消費する人は、生き生きすることが多いのではないか。
コミュニケーションについて、双方が消費の考えを持っているならば、楽しい時間で終わる。
また、コストを支払う人同士でも、大変に疲れるが、充実したみっちりとした時間を過ごせる
ここで問題なのは、コストを支払う人と支払わない人双方が違う立場で話すときだと考える。
なぜならば、片方だけがコストを支払っていて、片方は消費する。
それは片方だけに負担がかかっている状態だから。
自分がコストを支払っている側で相手がコミュニケーションを消費している場合はどのように対応するのか
①自分もコミュニケーションを消費する
いわゆる適当に話をする
話を合わせて、「ん?」と思うことがあっても突っ込まない、考えない
②早々に話を切り上げて逃げる
いい感じで笑って話を切り上げる
つっけんどんになって後で面倒になっても困るので、にこやかに
職場でのコミュニケーションは単純接触の上位互換ではないか
その考えでいくと、「コミュニケーション」という言葉の単純な使い方になるがコストを払うという意味での職場の「コミュニケーション」は不可能ではないかと考える
コミュニケーションが大事、コミュニケーションが大事って擦られすぎているほど言われてるけど、
私はコミュニケーションはそんな単純なものではないと考えている
何故なら全員が全員にコミュニケーションをしていたら、つまりコストを支払っていたら尋常じゃない時間がかかる
「この人はこういう背景でこういう考えを持っているからこういう発言をしたのかな」
「これはどういう意味だろう、質問しよう」
「理解が合ってるか確認しよう」
コストを支払う人は自然にこんなことを考えながら、(理解のための質問なども行いながら)コミュニケーションをとっている
仕事で言われているコミュニケーションは、いわば単純接触、情報発信の上位互換
あったほうがいいとは思うけど、それは「コミュニケーション」ではないんじゃないか、「消費の」「円滑に進める上での」という形容詞がついたコミュニケーションだというのが正直な私の考えです
まとめ
コミュニケーションには双方コストを払う必要があることを認識、実感できていない人は、相手に高コストを課する。
これはわざとでない。
普段コストを払ってコミュニケーションをしている人はすごく疲れると思います。
その分コストを払ってコミュニケーションをしてくれる相手と出会ったらすごく嬉しいし、話も充実感がある。その楽しさや嬉しさ、幸せを知っている
ただ相手が消費するだけの人だったときは、すごく疲れるし、なんだか表面を撫でたような会話をされてるなって、なんだか話に納得感がないと思います。
相手を変えることはできないから、自分も消費側に回って楽しめるような努力をしたり、はたまた無理なら逃げるのもありだし
コストを支払う人支払わない人、どちらが悪いとかないです
生きやすく生きていきましょう
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